感情解放のコースでその方と向かい合っていきながら、時々「旅」をする事を勧める。海外の一人旅。
その理由は、経験と感動を得て、生きる筋力をつける機会になるから。
自分で色々な事を調べ旅を準備する。
旅先では今までと違う景色や常識の中に入る。今までの「常識」はあまり通用しない。
ひとりだから、旅の相棒は「自分」しかいない。そんな中で旅人との出会いもあり、自分とは違う世界や暮らしの人と話す機会もある。
日本で、いつもとあまり変わらない生活をしていれば決死で起こる事が無い事が起こる。
トラブルにも遭うかもしれない。そのトラブルをどう乗り越えるか。誰かが助けてくれるかもしれない。トラブルに見舞われ、大変だった旅ほど何年かたった後に、「生きる為の筋肉」になっている事に気づく。
日本では経験したことが無い事が起きた時、自分は、自分が思っていた、想像していた事とは違う行動を取ったりする。
その時に、自分が「その程度の人間」だったと気づく。
今まで知らなかった自分を知る。
それが私にとっては旅の一番の醍醐味です。
20歳でニューヨークに渡ったけど、それは旅ではなく、住みに行った。
初めての旅はその年にグレイハウンドという長距離バスに乗り、ニューヨークからシカゴの知人を訪ね、その後ミシガンにいる中学時代のアメリカ人の先生と、高校生の頃に文通をしていた方を訪ねた。
長距離バスは低所得者層が多く、気を付けるように言われていて、夜中にバスターミナルに到着したりする。20歳の世間知らずの私なので、バスでは一番前の運転手の後ろの席に座る様にと、年上でアメリカに長く住む友達に言われた。
今思えば、あれが初めての「旅」かもしれない。会いたかった人達に会えたのは良かったが、英語もほとんどできない頃だったので、バスでの旅はなんだか大変で、あまり好きじゃなった。「旅」にあまり魅力は感じなかった。とはいえ、20歳の私はそういう「経験」をした。
次は、22歳位の時にプエルトリコに行った。でもそれは「旅」ではなく、「旅行」。
当時、学生ビザを持っていたけど、あまり学校に行っておらず、学校から海外に行く許可(バケーションサイン)がもらえないので、アメリカ領のプエルトリコならいけるし、当時新聞でホテルと航空券が「3泊4日299ドル」と出ていたので、ルームメイトのKちゃんと行く事にした。
私は旅慣れてないので、色々よく解らなかった。だけど、レンタカーをして北のサンファンから、南のポンセという町まで行ったのはとてもいい経験だった。特に覚えているのは、夜中、山の中でトイレがしたくなり、すごく困った。日本人のようにポケットティッシュもなく、「紙が無いよ!!!!!どうする!!!!」と二人で騒ぎ、整理用のナプキンならあるという事で、山の中で車を停めて順番にトイレをした。
おしっこしながら空を見たら、星がいっぱいだった。なんかすごく感動した。
ニューヨークに長くいながら、旅も旅行もほとんどしていません。理由は殆ど毎年日本に帰省をしていたから。親の援助はないアメリカでの暮らしだったので、いつもカツカツでした。
30歳の時にアメリカの老人ホームへのプロジェクトが終わり、私は目標を失った。
ある日、バイト先のお客さまと飲んでいた時に「アタシ、インド行ってみたいなぁ」と言うと、「お金を出してあげるから行ってきなさい」と言ってもらえた。
初めてのバックパックでの長期のひとり旅。まずはケララ州を目指した。アマチ(アンマ)のアシュラムに滞在しようと。
乗り換えのムンバイの宿で泣いた。当時の私には在りえないくらい汚い・・・(今なら大丈夫)。インドでの最初の洗礼だった。
インドは解らないことだらけで完全にまいってしまい、宿からも出られなくなり、その頃に知り合った日本人の旅行者が前の結婚相手です。とはいえ、インドにかなりストレスがたまり、我慢ならないので、彼とも何度も喧嘩をし、「イタリアに行く!」と言って、ムンバイからイタリアに飛んだ。彼とひと月イタリアを旅した。ミラノ、ジェノバ、フィレンツェ、シエナ、ローマ、ナポリ、ソレント、サンタルチア、パレルモ、アグリジェント、メッシーナ。いっぱい食べた(∩´∀`)∩
このインドとイタリアの旅と、その頃の彼が「旅」が私の人生に当たり前の物というか、そういう生き方のスタイルというか、趣味というか。転機になった。
それから2年位して、その彼とインドへのリベンジの旅に行く事にした。でも丁度その頃、インドとパキスタンが緊迫状態で日本ではビザが取れず、タイのバンコクで取れるという噂があり、とりあえず、タイに行ってみる事にしたの。
タイ、マレーシア、シンガポール、インドネシアをバスや電車で移動しました。
この旅からやっと旅慣れたっぽくなってきました。
その後、結婚して離婚。離婚してすぐに3カ月間ニューヨークに行きました。この時は中国人の家族に3カ月、ルームシェアで滞在しました。
それから数年して、恩人に会いに2週間のニューヨークに(2008年)。
この頃から、ドミトリーと言われる共同部屋の宿に泊まる事も多くなりました。ドミトリーは嫌いだと思っていましたが、案外楽しい事に気づきました。この頃であった子たちとは今もうっすらFacebook繋がっています。
2010年はヤングリヴィングのコンベンションに行く事になったので、日本→ソルトレイクシティ→ニューヨーク→ワシントンDCというルートで、「ついで」に旅をする事にしました。
ヤングリヴィングのコンベンションの前にソルトレイクに入り、レンタカーをして一人でモニュメントバレーまで行きました。3泊4日くらいだったかな。かなり走りました。
最初に、カーナビが壊れました。ストームが来て、宿のネットや電話が不通になったり、自然公園の中では在りえない時期に突然雹が降りだしたり。だけど、あの旅で自分がハンドルを握り走った、見た、壮大な景色は私の人生の中にがっつり「経験と感動」として残っています。
震えるような景色に何度も出会い、何度も何度も車を停めて写真を撮りました。
ここで見れます。
この旅は思いもかけないハプニングが幾つも起こり、色んな事を学べた、「成長できた旅」でした。この旅で生きる為の筋力が結構付きました。
この旅での一番の収穫は「何が起こる解らない。自分には目の前の事しかできない」。目の前に起きた問題を如何に解決するか。それ以外の事は余計な心配で、とにかく目の前の事しかできないという事でした。「ビジョンクエスト」の様な旅でした。
皆さんご存じの通り、私は喫煙者です。アメリカンスピリットというネイティブアメリカンがパッケージになっているタバコを吸っています。ソルトレイクからモニュメントバレー。まさにネイティブアメリカンの地なんです。
きっとあれは私にとっての現代の「ビジョンクエスト」だったのだと、今もそう思っています。
あの旅で見る事が出来た景色や、土地から感じられたエネルギーにはとてもとても感動をしました。かなり大変な旅でしたが、素晴らしい旅でした。
トラブルが多い旅ほど、生きる筋力を身に付けるんです。
2011年には、レコーディングでニューヨークに。滞在はドミトリーです。
この時は、上海経由で上海にも行った記憶が・・・。飯美味かった(∩´∀`)∩
その翌年2012年は、太平洋戦争に関わる事の旅にでます。ハワイ、ニューヨーク、ノーフォーク(バージニア州)、サンディエゴ、ロスアンゼルス等々。もうこの頃は一人旅のエキスパートです。
この旅の後に、大学での講義をさせて頂き、戦争の事が終わった・・・。
2013年秋にニューヨークに3カ月。その時に、ワシントンDCやアーリントン墓地を訪ねました。
今書いていて...戦争の事が終わったのはその年の年末年始のワシントンDCとアーリントン墓地だわ。戦争の事は私のアイデンティティの一つでもあったので、終わりたくなかったのに、終わったの。きっと前世だったアメリカ兵はもう気が済んだんだろうね。
この時にはアロマシールドを始めていて、私が日本にいなくてもお客さまとの関係や仕事は大丈夫か、という心配の中でのニューヨークでした。この夏に、私はきょうだいとの問題で親とも絶縁になります、とても辛い時期でした。この時のニューヨークでキューバ人のダニーに出会い、キューバへの関心の扉が開きます。この旅までの写真は、戦争とジャズばかりです。
見事にフェイズが変わった。
2014年、ニューヨークの友達が検査入院をするので来てくれると助かるというので、春に行く事にしたら「あら、言ってなかったけ?なくなったの」と言われたけど、キャンセルしてもお金もったいないから、「仕方なく」ニューヨークに行く事にしたの。やる事が無いからダンス習ってみたりね。その時のルームメイトがキューバに行った事があると言って「ねぇさん、ダンス好きならキューバ行ってみたらどうすか?」と、キューバへの生き方を事細かに教えてくれたの。
その部屋をもう一か月延長するか、どこか違う部屋を探すか迷っていた時だったので、3週間キューバに行ってみる事にしたの。アメリカからはカンクンに行ってそこからキューバに行くらしく、だからカンクンにも行った。
2015年に、ニューヨーク経由、カンクン経由で再度キューバに。この旅がキューピーダニーの旅。ニューヨークやキューバでは有名なミュージシャン達にも会いました。ニューヨークからアロマシールドの件でユタにも行きました。
アメリカの移民局の法律でメキシコ・カリブから一度でなくてはいけない事を知り、グアテマラにも行ったの。ネットで習っていたスペイン語の学校がグアテマラにあったので、現地でその学校に数週間通いました。
キューバの後はマイアミに行き、キーウエストまで車で行きました。
2016年に、学生ビザを取ってキューバに長期滞在。その年に、キューバ国内を旅してショックを受けまくり、その後逃げるように友人が暮らしていたパラグアイに行きました。パラグアイでは治安の悪さや政治の事など、色々とショックを受けました。
2017年にはサンテリアや、ハリケーンイルマを経験しました。
2018年はカンクンに半年。引きこもり生活。途中アロマシールドの事でユタに行ったわね。
思い返すと、キューバも、グアテマラも殆ど引きこもり。この頃に完全に気づいたの、私は世界中どこにいてもそんな風に暮らすのだろうなと。世界中どこにいても、私は私のスタイルの暮らしをするだけなんだろうと。だから、今我孫子でこうやって暮らしているのも「私のスタイルの暮らしをしているだけ」。
世界のどこかに別の世界はない。どこまで逃げても、逃げ場はない。
世界中どこにいても、私は私。それは、「経験」しないと解らなかったし、確立できなかった。
確立するためには「筋肉」が必要。
若い頃は、旅には興味がなかった私。だけど、今振り返ると、旅ほど色々な経験をさせてくれ、色んなことを考える機会を与えてくれて、視野を広げ、自分の無知さやちっぽけさに気づかされ、生きる筋力をつけてくれるものなんじゃないかと。
当たり前だと思っていた事が、広い世界では当たり前じゃない事を知り、私の中で沢山の感謝が生まれる、沸いてくるようになった。
文句ばかり言っていた私はいなくなった。
私が無知で、視野が狭く、経験が少なかっただけ。
筋力が無いから、誰かに依存したり、従ったり、文句をいう事で生きて来れてた。
旅は私を成長させてくれたと思う。
お客さまに「旅」を勧める事がある。
生きる筋力をつけるのに旅はいい。経験と感動を得る事が出来ると思う。
いや、自分の弱さやちっぽけさをしるのかもしれない。
弱くてちっぽけだとわかると、傲慢でなくなる。
人生って旅の様なもの。とよく言う。
ヤングリヴィングのご褒美で何度かツアー旅行に行きましたが、これは「してもらえる」旅。問題も起きません。生きる為の筋力はつきません。
旅をするなら「自分」で計画し、調べ、困り、泣いて笑って喧嘩するような旅が良いです。
生きる事も似ている気がするんです。