昔は、テレビ、新聞、ラジオ、雑誌などが主な情報源だった。
今は、情報が溢れて、何が本当で何が嘘や勘違いなのか解りにくい。
とはいえ、テレビ、新聞が本当の事を言うのかというと、それぞれの立場からの「都合のフィルター」をかけている事がとても多く、悪意を感じる事も多い。
どこかのスピリチュアリスト系の人や、自己啓発系の人の発信する情報も、かなり怪しいし、妙に偏っていたりする。
どんなに高学歴な人、東大やハーバードを出てても、包括的な情報や考えを持っている人は少ないんじゃないかと思う。
結局、誰がくれる情報も、それぞれの「都合のフィルター」で処理されてるんじゃないかと思うの。
「都合のフィルター」はほんとにそれぞれで、そう信じ込んでいたり、思い込みだったりもあるし、意図的なものもあると思う。
あと、人間的なものや、その人が抱えている感情の問題も情報の方向性や、発信の仕方に表れると思う。
その人が何の意図があって、どんなフィルターをかけているのか、もちろん私も見極められない。
せめてできる事は、それはあくまでも、一人のもしくはある側からの、ひとつの「都合のフィルターをかけた情報」でしかないので、参考程度にしかとらえず、結局は自分で考えて、何を信じるか、どう感じて、どう考えて、どうするのかはその人自身が決めるしかないと思うの。
そうしない、そうやれない人たちの多くが、誰かのせいにしたりしてしまうんじゃないかと。
日本を見ていると、そういう、幼稚な人たちがとても多くなった気がする。
誰かやメディアがいう事を鵜呑みにしたり、乗っかったりは結局は自分に対しての無責任なような気がする。
そういう人たちが、ネット上で自分が正しいかのように発言する。
そういうのにへきへきして、最近はあまりネットを見ない。
本当に信じられるものは、自分が見て、自分が感じた事で自分の中に生まれたもの、自分の経験から生まれたものだけ、なんじゃないかと。もちろん、それには自分にとっての「都合のフィルター」はかかる。
その人の「都合のフィルター」が何なのかは、自分を掘り下げていく事で見えてくるのかも。と思う。
承認欲求だったり、妙な正義感や正当性、優越感や劣等感かもしれないし、お金かもしれない。
人の事なんてどうでもいい。私はいつもそういう。
自分の問題は山積みなのに、人の問題に目を向けて自分の問題から目をそらして、誰かの問題に頭を突っ込んだり、ジャッジしたりする人ほど無責任だったり、ずるかったり、卑怯な気がするの。
そんな人たちが、ネット上には溢れてる。そういう時代。面倒な時代だなぁ、とか思う事もある。
ニュースは鵜呑みにしてはいけないとはおもう。色んな意図やフィルターがかかっていると思う。だけど、出来事や世の中を理解する破片はちゃんとあるからそれはそれで情報源だとも思う。
意図やフィルターの元になるような事、本当の情報や本当の事なんて、意図をもってやっているシステム内の人は教えてくれないと思う。
親切そうだったり、正当そうだったり、博愛的だったりする、人がいう事も、その奥にはそれぞれの意図やフィルターがかかってると思う。それを見極めるのは簡単じゃない。とくに、わざわざ、ネット上で発言したい人は、ただの親切じゃないこと多いとは思う。
親切であっても、その情報が間違っていたり、勘違いしてたり、ただのお節介だったり。
私がブログを書くのは私の仕事の一部。とはいえ、出来るだけ自分の正直な感覚で書くように心がけてる。書くことで自分自身の中の物を整理できる時もある。10年以上書いているでしょ、私自身が自分自身を一歩一歩歩いてる。その中には、勘違いとか、偏りはあると思うし、あったと思う。そのひとつひとつがその時の私。
お節介も多いかも。でも、そういう中でも、読んでいる人が「自分で考える」ためのきっかけになるようなものが書けてたら、クリスタライズとしては、まぁ、いい感じかもね。
私も偏ってる。きっと私の「都合のフィルター」がかかってる。私のブログとかも鵜呑みにせずに、あくまでも考えるためのリソースにしてね。
その人にとっての正当性や正義は、ほぼ、必ず、その人の都合に偏っている。
それぞれの「都合のフィルター」が意識的にか、無意識的にか、かかってる。
だから、自分の都合で自分が偏っているという事を、自分が知れていたら、いいかもね。
情報が氾濫している時代だからこそ、「自分」という軸がとても大事なんだと思う。