書かなくなった、書けなくなったシリーズね。

余談だけど、こうやって書けなくなった理由シリーズを書きながら、自分の中の何かが整理されている気がする・・・。

多くの情報が無料だったり安価に手に入る今の世の中。

いろんな「知識」が簡単に手に入る。

ダイエットの記事や本、健康の記事や本、心の問題やマインドフルネスとかのの記事や本、自己啓発な記事や本、いろんな、いろんな記事や本。動画も。

知識は簡単に手に入る。でも、それを活用することの難しさ。

頭では理解できたつもりでも、心と体はついていかない。だめだと解っていても、健康に悪そうなものを食べてしまうし、太りそうなものを太りそうな時間に食べてしまう。

英語もスペイン語も、ピアノも、着実に続けられればすごく伸びただろうに。でも、着実に続けることが難しい。解っているのに、出来ない。

 

こうすれば、「人生うまく行く」的な自己啓発本。恐ろしい程にたくさん出版されているし、記事も溢れてる、だけど、頭で解ったとしても「そうすること」が難しいから、「人生がうまく行かない」とかなんだとおもう。

でもさ、そもそも、「人生がうまく行く」って何だろうと。

上手く、楽して、苦しみの少ない人生を得たい。と思う人は多いのだと思う。

でもさ、それって「幸せ」というか、人生の充実感とかってどのくらい魂に「残る」んだろう。と。

 

旅ってさ、しんどかった、大変だった旅ほど、それから何年もして自分の心の糧、生きる筋力になっていたりする。そういう旅って、何年もしないと消化されないし、血肉にならないというか。

旅ごときでも、やっぱり、楽したいし、うまく行かせたい。そのために必死に自分で調べて自分の足で汗だくになって歩んだ旅と、誰かの旅に便乗した旅は全く違う。

 

書いても、伝えても、特に今の時代は、あふれている良さげな情報の中で、それを実際に活用できる人はすごく少ないと思うんだ。それより、情報過多で混乱して(散らかった部屋みたいなもの?)何も手に付かなかったりする人もいると思う。

だから、私以外が書けるようなこと、発信しているようなことは出来るだけアップしないほうが良いとも思うんだ。

どれだけ情報が溢れても、世界がどんなことになっても、「自分」とは一生付き合う。一緒に歩む。もしかしたら、死んだ後も、次の転生でも、「本当の自分」のようなものは、魂の本質とかで、一緒に歩むのかもしれない。

その自分との歩み方は、情報が多すぎるとより解り難くなったり混乱するのかもとも思う。

どれだけ情報があっても、知識があっても、心と体(行動)がついていかないのだったら、頭でっかちな人になる。頭が重いから、重心はハートから離れていき、自分がもっと解らなくなるかもしれない。

「自分には何かが足りない」と思って、いろんなものを追っかけたり、手に入れようとしてしまう、人は少なくないかもしれない。けど、そういう人たちって欲張りだなぁと思ったりもする。

欲張りな人って、結局何も手に入れられなかったり、その人にとってとっても大事なものに気づかず無駄にしてしまうんじゃないかと。

手は二本しかなく、同時につかめるものは二つだけ。本気で欲しいなら両手で一つをつかもうとしないと、手に入らないと、昔から思ってる。

でもさ、自分に足りないもの、人が持っているのに持ってないものがいっぱいで、いろんなものを欲しいと思ってしまう。

自分の中にあるものは、当たり前にあるからその素敵さや大事さに気づかない。

自分の中にあるものと、ふたつの手。

それ以上欲張っても、何もしっかり得られない。

特に「自分の中にあるもの」、身の回りの「当たり前だと思っていたけどそうじゃない事」に気づくことが大事な気がするんだ。

それに気づいたら、無駄な欲張りは無くなるというか、減っていくと思う。

 

仕事、商売のためには、もっといっぱい記事を書かないといけないなとは思いながらも、書けない日々。

まぁ、のんびりやりますわ。

こぢんまりと(*^-^*)

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写真はままんちの犬。