ひと月前に書いたままの記事。最近は書くけどなかなかアップしないね。でもアップしよう。

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先日、Yahooニュースを見ていて、お医者さんで、コメンテーターとしてもテレビなどに出ているというおおたわ史絵さん。

お母さまが依存症でとても難しい関係だったらしい。

◆医師・おおたわ史絵が、執筆やコメンテーターを必死で続けた理由と家族の崩壊  

【そもそもなぜ医師としての生きかただけに飽き足らず、メディアなどに足を踏み入れてしまったのか?
これもよく訊かれる質問なのだが、これについては自分のなかで明確な答えが出ている。
ただひとつ、「誰かに認めてほしかったから」。
~中略~
生まれ育ちの事情はそれぞれだが、もとから幸せで満ち足りた人生であれば、なにも大衆に顔と恥を晒してまでリスクの高い生活を選ぶ必要などないのだから。アイドルもタレントもミュージシャンも、たぶん欠けているなにかを埋めるために一生懸命にもがいているのだと思う。】

近年、ネットを見ながら、私もそういう気がしてた。みんながみんなそうじゃないとは思うけど、そういう人は少なくないと思う。

 

最近、書くことが減った。いろいろな理由や言い訳を最近は書いたりした。

あまり自分をアピールしなくなった。私の中で何かが「気が済んだ」というか。結局は自分の中に自分が居れば、自分が自分を受け入れていれば(認めていれば)いいんだと。

色々やってみて気づいたというのもあるし、人の振り見て気づいたというのもある。

ネットを見ていると、人も情報もどんどん消費される。注目を向けるために凄まじい努力が必要になってしまっていて、見せなくてもいい部分も見せてる有名人も多いし、有名じゃない人も注目を向けるためにいろんな事をやっている。

昔はプロダクションなどが芸能人を商品として管理していた部分があるんだと思うけど、今はそうじゃなくなってしまったと思う。どんどん情報が流れて消費される中で、注目を向けるため、認めてもらうためなのか、いろんな事を発信する。

そうまで(晒)して、何が欲しいのだろうか・・・。

芸能人とかの場合は、その人が商材、商品で、その商品が売れる事で収入が得られる人がいるので、商品としての価値や需要が無いといろんな人が困るので頑張らないといけないのでしょう。

そうじゃない人たちも、溢れている、昨今。認められたり、受け入れられたりしたい人は多いんじゃないかと。

 

そういう私も、認められたり、受け入れられたかったのだと、思う。

否定されて育ったり、受け入れてもらえなかった私は、必死に自分を認めてくれる人や場所を探していたと思うし、「いい事」をしようと頑張ったり、自分が生まれて来たのは間違いじゃないと思えるために必死だった。特に30代まではかなり必死だった。そのくらい必死になるくらい、自分、自尊心や、自己肯定感ががボロボロだった。

自分が殺されないように、自分を殺したくない、と必死に生きて、散々もがいてみたら、諦めがつくというか。否定されたり、受け入れられなかった自分、自分のそういう人生を、受け入れるしかないと気づいた。受け入れてみると、受け入れることが出来ると、前より強くなれた気がする。もがかなくなった。穏やかになれた。

どんどん消費される情報の中で、多くの人たちが人生の中の困難のようなものを発信している。多くの人たちがもがきながら生きているのかもしれない。

自分をよく見せようとしている人たちも、「よく見せようとしている」だけで、実はそうしている人ほど、もがいているのかもしれない。

 

何かが欠けているから(そう感じられるから)、苦しいから、それを埋めようと必死になれるのだと思う。

だから、いろんな事を感じ、考え、経験できる。

そして、それらの経験がその人を創っていく。

一歩一歩、行動し、経験をしながら、その都度いろんな事に気づく。

私も、散々もがいたと思う。あっちこっちに行ったし、いろんな人たちに出会った。恥ずかしい事も山ほどあるし、迷惑もいっぱいかけたとも思う。だけど、そうやってきたから、気づけた事が沢山ある。

いろんな事を経験することが出来た。なにも無駄じゃなかった。と思う。

今は、誰かに認められなくても、私の中に、私がいる。

私が私を受け止めて、受け入れているからか、結構幸せなんじゃないかとおもう。

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写真は今年ベランダで採れたラバンディン。