昨日は、メルマガでリトリートやるよ、って書きました。

私はいつも、どうしてなんだかわからないままに進む。前に進んでいるのか何をしているのかわからない。ただ突然必死になったり、没頭したりする。

この家もそう。

この家に引っ越してきたこと自体、よくわかんないまま引っ越した。住んでみると、とんでもなく大変で、どうしてこんな暮らしをしたのか…。

私は、スピリチュアルな感性はかなりあるのだと思う。だけど、高次元とか宇宙とか、能力とか、誰かを救うとか、お役目とか、そういった事は、スピリチュアルというか、魂の世界や生きることにはあまり重要ではない気がする。

1番大事な事は自分が自分であること。それと、自分自身を受け入れ現実を生きていくこと。そんな気がするの。

それぞれがそれぞれの人生を、それぞれの魂が決めたであろう課題をこの「生」でやっているだけなんだと思う。

それに気づくのは、どこかのヒーラーや高次とかアカシックがどうとか、そういうところに聞くのではなく、自分の中に深く深く向かい合っていけば答えが見える。そんなものすぐに見えないだけど、そうやっていると、気がつくと魂が決めたことを一歩一歩やっているのだと思う。

ここで過ごしたら、そういう事を感じられるようになるきっかけやチューニングができるような。そんなリトリートになったらいいな。

さて、私は結構めんどくさい暮らしをしている。石鹸を作ったり、化粧水やクリームを作ったり、コーヒーを焙煎したり、ハムやベーコンの添加物が嫌だからとパンチェッタを作ったり、パンを焼いたり、無農薬玄米取り寄せて炊いたり。

少なくとも、これらの超面倒なことを、飽きっぽい私が続けていると言うことは、多分とても良いというか、心地よくて、市販のパンや、ベーコン、コーヒー、石鹸、化粧品やクリームには戻れない。

そして、ここで暮らして、壁に漆喰やペンキを塗ったり、チェーンソーで木を切って薪を作ったり、床に板を貼ったり。今度は野菜を作り始めた。

こういう暮らしから気づくことや学ぶことがたくさんある。そして世の中で売っているものがどんなものかも自分で作ってみて初めてわかる。だけど、とっても手がかかる。

だけど、それはとても豊かなことな気がする。

「こんな暮らしがいいよ」

と言ったとしても、こんな暮らしを始める人はそんなにいない。

ここで、そういう暮らしをちょっとだけ体験してみて、そして、1番大事な自分、心と過ごす。

 

「あ、この古民家でリトリートができる」

そう思った時、仕事もそっちのけで無我夢中で、この家をDIYしたり、畑を作ったり、草を刈ったり、木を切っていたことは私の魂は意味があることだとわかって進んでたのかもって思えた。

山口県のこんなところまで、来る人はいるのだろうか。来ようが、来まいが、私はこうやって暮らしてる。私にしかできないリトリートよ。

家のDIYや庭、畑、そういうのも、これからもアップするよ。

来たくなってね。

待ってるよ。

遠くの友達の家に行く感覚で。

ここにきてね。

 

詳細とかは、もうちょっと待っててね。

10月から遊びに来れるようにするからね。