先日、ある友人と、Aさんはどうしてあんな風にしちゃうんだろうね、という感じの事を話してた。

Aさんは、私にとっては、失礼で傲慢なひと。他人を(無意識に)コントロールしようとしたり、下に見られないように、相手を下にしたりする。

本人は気づいてないと思う。

ちょっと、嫌だな、って思っても、ま、みんな、色々あるから、まぁいいや。とするけど、かなり嫌な事があったり、自分のメンタルによくないとか、私には我慢できなくなると、サッとひく。

「どうして、あんな風にしちゃうんだろうね」

「歪んるんですよ、仕方ない」

友達は、え?という感じでちょっと引いた。

「あなたは、そこそこ、親とか身内に尊重されたりしてきたでしょ。Bさん(共通の友人)もそう。だけど、Aさんは、多分、否定されたり、拒絶されたり、バカにされたり、なんかそういうのがあったんじゃないかな。私がそうだったから。わたし、歪んでるよ」

「え?あなた、いい人よ」

「いえいえ、わたし、歪んでるわよ。これだけ感情解放しても、自分と向き合っても、根深いの。そういう歪んだ自分が出てくると、自分が自分を嫌になる。誰かを巻き込みたくもない。だから、引きこもる。自分と過ごすの。自分と向き合うの。多分Aさんは自分が歪んでるという事に気づいていないというか、気付いたとしても蓋しちゃってるんじゃないかなぁ。

そういう事って、自分で気づくしかないし、他人からは絶対に言われたくないでしょ。言ったってどうにもならない。だって根深いんだもの。仕方ない事なの」

そんな会話をしてたの。

 

Aさんも、私も、あの人も、この人も、結構歪んでる。

特に、日本って、歪んだ人多いと感じる。

どうして、か、って。

自分を殺して、周りに合わせる事がよいとか、当たり前とか、そういう常識があったからだと思う。

多様性とか、個性を認めるとか、そんなの、殆ど言葉だけで、頭でわかったつもりになってるだけ、な人が多かったり、社会もまだ長い日本人の慣習や常識が根深い。

 

自分を殺したり、抑えたりしていると、歪む。

だって、その人は本来、そう育ちたいと思っていないんだもの。

 

そう。

わたしは、歪んでる。

わかってる。

 

だから、さ、いい人とか、理想とか、そういうのに成ろうとかしない。

それは、もっと、もともとの自分を抑えつけるから。

でも、歪んだ自分が出てきたら、膿みたいなのが出てきたら、他人から距離を置いて、静かに一人で過ごす。心の奥の奥にある傷はそう簡単に治らない。再生できない。

一生完治なんてしないと思う。

その歪んだ自分とどう生きていくか。どう付き合っていくか。

だって、それが、「自分」なんだもの。

 

あの人も、この人も、結構多くの人が歪んでる。

どうして、歪んじゃったのか。

自分に何があったのか。

そうやって、自分に耳を傾むけて、寄り添ってあげる。

だって、仕方ない事だから。

受け入れるしかない。

 

だから、誰かが歪んでいても、仕方ない。

でも、他人がどうにかしてあげられることではない。

 

ただ、自分の歪みに気付いていない人は、人を傷つける。

だから、距離を多く。

さよならしたりする。

 

だって、わたし、傷つきたくないもの。

わたし、自分が大切だもの。