メルマガにも書いたお友達、カナダのホスピスに居たメグちゃんが旅立ちました。
昨晩、メグと親しい友達が知らせてくれました。

3か月ほど前、メグが突然ホスピスからFacebookで動画の投稿を始めました。彼女の病気の事を知らなかった私はとても驚きました。

彼女の発信を見て、自分が生きている事すら、当たり前じゃないんだと気づきました。

「生きている」事の意味を考えました。
意味なんてない。生きている。それは決して当たり前じゃない。

「生きたい」と思う、彼女の気持ちは同時に痛みや恐怖との戦い。だけど、彼女はたくさんの愛に包まれていました。沢山の人が彼女を愛していました。

誰かの人生が終わる時。

誰かが、長かったとか、短かったとか、残念だったとか、大往生だったとか。

そんなことはどうでもいい。

その人が、精いっぱい自分を生きたのなら、長いとか短いとかってないと思う。

出会えたこと。

いろんな事を感じた事。

彼女と交わした会話。

私の心の中に、居る事。

私の中に刻印した物。

それはきっと魂に刻まれてる。

肉体があるから、生きているから出来る事は限られてる。

でも、生きてないと出来ない事がある。

私は、彼女に歌を贈った。

「伝わった」って、彼女が言った。

私は「生きよう」と思った。「歌おう」と思った。

「死」が近くにあると「生」が際立つ。彼女の「生きたい」という想いと力はとても強かった。どんどん、強くなっていった。

そして、「宿命」に、ゆだねる。

わたしは、自分がいま生きているってことを、しっかり感じながら日々を過ごすようになれた。

生きていることが、当たり前じゃない。気づかせてくれて、ありがとう。

「安らかに」なんて言わない。

だって、メグは私の中に生きてるんだもの。

ありがとう。

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写真は、2010年にメグのクッキングクラスに参加したときの写真だよ。