「Connecting the dots(点と点を繋げる)」というスティーブ・ジョブズの有名なスピーチがある。
その時はよく解らないけど時間、年月が経った時に、その点と点が繋がってるかもって、思う事って結構みんなあると思う。
多分だけど、それは、結構スピリチュアル的な感覚でもあると思うの。
自分を研ぎ澄ましていくと、自分の心にフォーカスしていくと、多分、宇宙とか、天とかそういうのに繋がるような気がする。
そうすると、見えないものたちが、いろんなサインを出したり、導いてくれたり。出会わせてくれたり。どうして自分がそうしているのか、どうしてその人に出会えたのか、その「点(時)」の時は殆どと言っていいほど、全く、意味がわからない。
それは、10年後、20年後、30年後に周りのピース(点)が埋まってきてパズルが見えてくる。全貌じゃない。そのパーツだけ。
そして、多分、棺桶が近くなったら、上手くいけば、自分に正直に生き続ければ、人生のパズルの全貌が、見えるのかもしれない。解らない。
その全貌とかを知りたいと、急いでも、「今ここ」を生きてないと、パズルのピースは見つからない。出会えない。そんな気もする。
見つけたい、出会いたい、と思って、見つけたり、出会ったりできるわけでもない。
そういうのを急ぐ人は、アカシックレコードとかを知りたいとか、思うんだと思う。だけど、そういうのが解ることより、一歩一歩生きていくしかないと思う。そうしていると、Dot「点」に出会っていく。
その人の「人生のパズル」は、誰にも見えない。
誰からも、理解されなくても、自分が「そう感じる」んだったら、不安だけどやってみる、進んでみる。
その時は失敗だったり、挫折だったり、玉砕だったりして思い出したくもないことも、5年後、10年後、20年後、それが大切な「Dot(点)」になっていたりする。
今私に見えている、というか、そういう気がしている、いろんなピースがはまっているような気がして、そういう絵があるかもしてないと感じている、パズルのパート(部分)。違うかもしれない。だけど、そのパーツの絵が見たいし、違うなら違うって、見たいし。もし、そこに本当に絵があったとしたら、リスクあがっても、馬鹿げていても動かないと、そこの絵を見ることはできないと思う。
違ったら、「あ、違ったな、ごめんあそばせっ」と。
そういうメンタルを持ちたい。昔よりは、そうなれた気がするよ。だって、誰かの期待は感じ取らないように、してる、つもり、になってきたかもだから。
私に限らず、みんなそれぞれの人生でのパズルのパーツ(部分、部分)が集まったら、その人の人生の曼荼羅みたいなものになるのかもだね。解らんけど。
今、そのパズルのパーツが見えるかもなので準備を色々していて、結構やることがいっぱい。
経済的にどこまで持つか解らない。もっとちゃんと、仕事しろよ。って思うけど、焦るけど、私にとってはもっともっと大事なことがあるから。そんな「気がする」から、やってる。
でもさ、歳とってきたから(まぢ)、体力と、精神力と、集中力が弱くなっててなかなか進まない。
まぢで、やばい状態になったら、SOS出すから、その時は、買ってね。