先日ある人と話してて、「○○さんどうしてる?」

数年前に精神的に病んでしまって一時休職をしていたの。

「自分がまともだと思っている人ほどオカシイから。まともな人ほど病む社会なんだと思うよ」

「確かに」

そんな会話。

自分はまともだと思ってる人たち。言い換えれば、自分が正しくて、相手がオカシイとか思ってしまってる人たち。そういう人たちの多くは、

①狭い世界と価値観の中で疑問を持たずに、もしくは考えないようにして生きてこれた人、

もしくは、

②傷ついている人たちなんじゃないか

と思う。どちらもつける薬は無いので、放っておくのがいいと思うけど、自分を信じられない人たちはそれを受けてしまう。

②は私がそうだった。そのままの自分が受け入れられない場合、「正しさ」「正当性」が鎧になる。時には武器にもなる。そうしないと自分を護れないというか。みんな、みんな、それぞれ違うと思うのね。色んな考え方や感性がある。それが学校や社会にそぐって無かったとしても、誰かが強く「ありのままの自分」を受け入れ、愛してもらえていたら、そのままの自分でいいんだと思えていたら、「正しさ」や「正当性」なんてたいして意味がない気がするの。

きっと「正しさ」や「正当性」で攻撃もしくは防御しようとする人たちは、ありのままの自分を受け入れてもらえなかった人たちなんじゃないかと思うんだ。多分多くの場合は親子関係から根付いているんじゃないかと思う。

私は、「ありのままの自分」を受け入れ愛されたのか?私は、ボロボロだったと思うよ。だから、正当性や正しさで戦ったし、自分を護って来てた。でもさ。たぶんさ、ダニーのパパがつよく信じてくれたし、受け入れてくれたんじゃないかと思う。

そういう人にどうやったら出会うのか・・・。たぶんさ、諦めない事と、相手を地位や見てくれや、そういったもので判断しない事。だけど、これはとってもリスクもある。騙されたり利用されることもある。

たぶんさ、それでも諦めない事なのかもしれない。

①も、私もそうだったと思う。

北九州市→ニューヨーク→東京→インド・東南アジアの旅→埼玉→横浜→→→キューバ

その過程の中で、自分がいかに無知で狭い世界の価値観で固まってしまって生きていたかを知るの。その固まっている価値観が壊れる時、自分はいったんガクガクになる。信じていた価値観が壊れるって、結構怖い事なんだ。だから、多くの人は自分の価値観を正当化して守りたいのかもしれない。多分無意識にそうしてしまうんじゃないかと。

どうにせよ、①の人も②の人も厄介だと思う。

頭でわかっていても、今でも時々正しさを杖にして、戦ったりしたりする。そういう時って、そういう正しさを仕掛けてこられた時な気がする。

 

今も、自分の中に残る厄介な部分が顔を出してしまって、時々向かい合ったり。

「自分はまとも」だと思ってしまったら・・・きっと、たぶん、とても愚かで滑稽。

でもさ、人間なんてさ、そんなに賢いわけじゃないんだから。

私も愚かだし、滑稽だと思う。


写真は、小かぶとルッコラだよ。コカブちゃんとそだつといいな。