近年よく聞く、時代や価値観、宇宙の流れが変わり、「競争から共生、協生へ」。
そもそも、なんで、みんな、競争をしてたのだろう。競争って精神的に、すごくキツくないですか。
とはいえ、「競争」させることで、成り立っていた社会だった。だから、「競争」すること、「比べる」ことが、「当たり前」だと、思ってた。
きょうだい、という社会から。学校。そして、一般的に言われる「社会」へ。
全てが、比較や競争という価値基準と思い込みというか、常識の中にあった。
私は「競争」が苦手だ。
思い起こせば、小学生の頃に、運動会の徒競走の練習をしていたときに、4人とか6人とかだったと思うけど、50メートル走とかで走るでしょ、「練習」なんだけど、みんな頑張るというか。で、そのエネルギーみたいなのにおされて、私も妙に、一生懸命走ってしまう。だけど、私は、太ってたし、足が遅かったのね。それでも、一生懸命走る。
最後から二番目になれたら、すごく嬉しかった。私は、ドベじゃない。今思うと、不思議な感覚だ。そうやって、私たちは、競争することを当たり前のように身につけ、人と比べて安心する。
だけど、あの時、小学生の時、競争ってきついし、とても苦手だと感じたことを今も覚えてる。
中学生になると、通知簿に順位が書かれた。私の学校では上位30位までははり出されていた。
これも、考えると、不思議なシステムだ。
私は総合的な学力というか、「学力テスト」というのは、まん中くらいになれたけど、中間テストや、期末テストは、いつも下から30番以内だった。最下位になったときもある。
ある日、夢を見た。
最後から二番目だった。
これは、正夢になった。
最下位になることもあった私は、最後から二番目だったのは嬉しかった。自分より「下」に誰かがいると安心する。不思議な、いやらしい心理だ。
私は多分、頭が悪かったわけじゃなく、勉強をする意味、特に「試験勉強」をする意味がわからなかった。
多くの人は、「評価されるため」に、頑張ったのかもしれない。
私も評価されたかった。だけど、「苦しみ>評価されたい」で、「苦しみ」が優って、評価されないでもいいと、思い込むように努力した。気を逸らした。そんなもの気にしてないようなふりをした。悪ぶったりした。
今考えると、そうやって自分(の心)を守ってきたのかもしれない。
社会に出ても、夜の仕事などでは、成績が貼られたり、上位の人は表彰されたり。
私は、ここでも、そんなもの気にしてないようなふりをしてた。けど、気遅れしてたり、劣等感もあった。何度か、頑張ってみたりしたら、成績(売上)が上がったこともあった。だけど、ひと月それをやると、もうダメ。気が狂いそうになる。そして、また離脱する。
周りの人は、私を、「我が道を行く」自由な人と思ってる。思ってたようだ。そうじゃない。比較や競争の社会でとても、とても劣等感を抱え、すごいストレスを抱え、お酒を飲んで酔っ払ったり、過食して指を突っ込んで吐いたり、家で枕やマットレスを包丁で刺したり、叫んだり。
家族、学校、社会での「競争」や「比較」「評価」は・・・本当に苦しかった。自分が死なないように、必死だった。ほんとは、ボロボロだったんだよ。
だから、私は、多くの人がやってないこと、気にもかけないこと、競争や比較がないところに、行くようになったのだと思う。古いジャズも、1989年からのニューヨークも、キューバも・・・。
キューバから戻ってきた時に、「もう私を何かや誰かと比較できる経験や知識のある人はいない」と感じ、妙な劣等感や、不安から抜け出し、安心したのを覚えてる。
競争が辛いから、苦手だから、苦しいから、自分が死んでしまうから、必死だった。
そんな「競争」の社会、時代が終わる・・・のか。
だったら、嬉しい。だけど、自分を守るために、抜け道や隙間を探して、ある意味、抜け駆けてきた私に、「共生」や「協生」は、上手く出来るのか。
そんなことを考えたりする。
だけど、きっと、大丈夫。
今までもそうだったように、私が私でいられる隙間を見つけて、適当に、生きてるんだと思うな。
あ、でもさ、それが、「私」という、世界、宇宙に一つしかないパズルのピースになって、隙間を埋めて、大きな絵ができるのかもだね。
それが、共創かもだね。