ここのところ、調べていることに関することで、昨日の晩、みぞおちのあたりがとても重くて、やりきれなくて・・・。それが何かと感じ取ると・・・「悲しみ」。

この「悲しみ」をどうしたら良いのか・・・と、訊く。

「悲しみを味わい尽くしなさい」と。

味わい尽くすと、「慈悲」になると。

今調べていることは、明治維新。私が今住んでいる下関はその舞台となったところ。

平家のことを調べているうちに、「あれ?」と思うことがいくつかり、明治維新のことが気になり始めた。

今の日本、日本の政治にも深く関わっていて、そこが元で今の政治ができている、と感じる。

歴史は勝者によって作られるというが、幕末、明治維新、明治政府、をある側面から知っていくと、どうしようもない気持ちになっていった。

自分が信じていた、習っていた、常識のような歴史は、なんかおかしい。

怒りが起こる。

でも、その怒りをどこにぶつけたら良いのか、何に怒ったら良いのか、わからなくなる。

そして、やるせなくなり、途方に暮れてた。

高市早苗さんが自民党総裁になる・・・。それを喜び歓迎する人たちも、少なくないようだった。

麻生太郎さんが、総裁選の鍵を握り、動かす。

明治維新から繋がってる。確実に。

こんなに情報が多くあり、知ることができる時代。なのに。

こんな時代なのに・・・・。

そう思うと、明治維新の時代に、どれだけの人が、本当のことを知っていたのだろうか。維新の志士と言われる人たちの写真を見ていると、若い、青年が多い。正しいことと信じ、戦い、命を失って人も少なくないのだと思う。

わかっていて、暗躍した人もいると思う。でも、それすらも、大きな世界的な勢力に利用されている。

対立を作り出し戦わせる。常套手段。

その歴史は、私たちには、隠されていて、何もなかったように塗り替えて、今の日本、私たち、私たちの暮らしがあった。

信じていたこと。常識が、嘘だと気づくと、知ると、「騙されていた」と思い、怒りが起こる。

あの時代の人たちは、知っていたのだろうか。

これだけ情報がある時代の私たちですら、知らない。私は知らなかった。

そう思うと、誰が悪いとか、正しいとか、よかったとか、悪かったとか、どうでも良くなる。そんなことじゃないと、気づく。

悲しくなった。やるせなくなった。

私の中の悲しみとやるせなさと、彼らの魂が持つ悲しみややるせなさ。

「悲しみ」に辿り着けてよかったと思った。

感情の解放をするときに、感情を分析し、一つ一つ掘っていく。

多くの場合、怒りの奥には、「悲しみ」がある。

その「悲しみ」を与えて人の中にも「悲しみ」がある。その悲しみ、痛みが、自分を守る為に他の誰かを傷つける。

それを理解していくことが、感情解放だと、私は思ってる。

理解したら解ける。解けたら、手放せる。

スピリチュアルでは、私たちはみんな繋がってると、いう。

「悪者」と思われる者達も、何かがあったのだとは思う。

罪を憎んで人を憎まず・・・そんな言葉があったと思う。

「悪者」のような人たちがいるから、気づくことがある。その人達の魂は本当にそうしたかったのか。それすらも、大きな絵巻の中の物語を作るためのパズルのピース。

今、正義とか、悪とか、正しいとか、間違ってるとか・・・そんな対立のようなものがある。

でも、みんな、繋がってる・・・らしい。

怒って欲しい。気が済むまで、枯れるまで、怒って良いと思う。でもきっと、そこには答えや解決はないのだと思う。

だけど、枯れたときに、葉がなくなり、自分の幹を見るしか無くなる。そのときに、自分の中の「悲しみ」に気づくかもしれない。

そうしたら、その悲しみを味わい尽くす・・・。

そうすると、その悲しみは、慈悲になる・・・らしい。

慈悲になったら、人を裁かなくなると思う。なれるのかもしれない。

慈悲になったら、善悪、正義で対立をしなくなれるのかもしれない。

今、たくさんの怒りや、裁きが起こってる。対立が起こってる。

怒り→悲しみ→慈悲。「怒り」がはじめで、その奥に悲しみがある。

「怒り」で私の中の何かが破壊される。

悲しみを知り、感じ、味わいきると、慈悲になるらしい。それが今回のテーマにおける再構築なのだと思う。

私は、今、「悲しみ」を味わっている。

もうちょっと色々調べたり、本を読んだりしたいと思ってる。

みんなにも、色々調べたり、本を読んだりして、歴史を調べてみてほしい。

少なくとも、3方面の見解のものを見てほしい。すぐにわかったつもりにならないで、鵜呑みにしないで、そこから濾過される時間を待ってほしい。1週間、2週間、5週間・・・すると、その先に濾過されるように、気になるものが残ると思う。それを取り出して、また調べて見てほしい。

その作業を繰り返してほしい。

うまく説明できないし、伝えられないけど、今起こっていることに対しての「怒り」の先の悲しみに気づいて欲しい。

悲しみにたどり着けたら、味わい尽くし、慈悲に変えてほしい。

そしたら・・・それが「愛」になるんじゃないかと。

今、この作業が日本、地球に、必要だと思う・・・。