ここのところ、結構しんどかった。
善悪とか、正しいとか、そういうものに対する疑問と葛藤だったでしょ。その後、友人の写真展に行って家に帰ったら涙が止まらなくなったの。
その写真展は、「家族の愛」というのがテーマだった。
私はその写真展の会場に行って、写真を見る事が出来なかったの。
そこに残された一瞬の温かな断片の連打が私を叩きのめしたの。

もし、「家族の愛」が温かな、優しい、それが理想で正しいものであると完全に定義されてしまったら私は生きていけないかもしれない。
どの様な家族であっても、どんな事があろうと、自分の生を信じ、自分の人生を歩む準備を整えてくれた両親に感謝し、私たちは自分の魂を信じて生きて行く。と解っていても、心の中ではいつまでもその人の子供として、愛し愛される事をどこかで望んでいる。多くの人のお話を聞いて知った事は、子供たちはどんな目にあっても親からの愛を求めてる。自分が大人になって、親が年老いても、親は永遠なテーマとして心の中にある気がする。

写真と、自分の家族を思うと、涙が止まらなかった。
マクドナルドにいてもつ~っと涙が出るくらい。
思いやりや、優しい愛が少なかった家庭で育った自分がみじめになった。
家族愛の写真を受け入れる事が出来ない自分の心が貧しいのかもしれないと思い、どんどん自分がみじめになった。

温かな、優しい、愛を与える事が出来ない親たちは沢山いる。
私の両親もそうだったかもしれない。祖父母も。
他の家庭と比べる事は出来なくて、それが、自分の魂がこの生の目的に合った親と環境だったんだと思う。

与えられた学びと可能性の中で自分の魂の目的を生きる。
テーマはみんな違うんだと思う。
それは、誰とも比べられない。

何のために生まれてきたのか解らない。
自分が本当に好きな事が解らない。

私はよく聞かれる。

他人の定義した幸せではなく、その人だけの生まれた目的があると思う。
それは、もしかしたら、子供を捨てる事かもしれない、
もしかしたら、誰かと出会う事かもしれない、
もしかしたら、誰かに復讐をする事かもしれない、
それぞれが違う課題の中で、自分の魂の想いや目的に向かって生きるのかもしれない、と思う。
いいとか、わるいとか、じゃなく、いろんな立場を体験し、学ぶんだと思うの。
行きつく所には、善も悪も無いのかもしれない。

答えは解らない。
死んだら解るのかな~。

私のサイトに来る人たちには、
自分の心やインスピレーションに耳を傾けて
外の言葉ではなく、自分の心に正直に生きて欲しい。
いくつも、いくつも、扉を開けて行くと、その人だけの生きる目的が見えてくると思うの。
その中には、誰か特定な魂と出会い、家族をつくる、という目的もあると思うけど、それがきっと全ての人に当てはまるんじゃないと思うんだ。そんなの、ソウルメイトとかの神話。出会い深くかかわる人、ハートで触れ合う人、ハートでぶつかり合う人、みんなソウルメイトなんだと思う。

私は中学生の時から前世の想いと続きを今も生きてる。よほどの想いを残して死んだんだろうね。私は日本に産まれて、この父親のもとでしか学び、理解し、支えてもらえない課題をやってる。でも、そこには、温かい愛はあまりなかったし、これからもその課題が終わるまでそれに挑戦したい。温かい家庭はほしいよ。でも、それよりも諦められないものがあったから離婚したんだしね。

私のサイトに遊びに来る人、私の事が気になる人の多くが多かれ少なかれ「家族」という課題を抱えているのだと思う。私は時として彼女たちに支えられてて、ハートが痛くなる話を一緒にシェアする。自分自身や自分の人生から逃げずに向き合い、戦ったりする。私にとってはちょっとした戦友というか。

温かい愛から程遠い家族だったとしても、
その親も、本人も、与えられた命を人生の中で精一杯生きてるんだと思う。

自分だけの生まれてきた目的、見つけてください。

そうそう、あまりのカオスの中に居て落ちてる時は、オイルを使いたくなくなるんだよね。で、付けてみると、ブルブルってする。
最後は、ローズに包まれるのよ。全てを私に捧げてくれる、ローズちゃん、ありがとう。