最近は、テレビを持っていないという人も少なくなくなってきたと思う。
私の場合は、ただ、テレビの情報が信用できないということだけじゃないの。
私がテレビって嫌だ、って思い始めたのは、15年ほど前に、アメリカから日本に住居を変えたころ。もちろん、それまでは、テレビは生活の必需品で新しい家にもテレビとビデオを買った。
日本に帰ってきて、テレビを見ると、すべての言葉がわかるでしょ、(←英語あまり解らないのでw)、バラエティ番組などであっちこっちからいろんなことをしゃべっているとそれをすべてキャッチする。脳みそ忙しくて、2時間テレビを見たら疲れ果ててた。そんな中、ロンドンブーツの番組で、若い女の子が投げられる?みたいな番組があったの。女の子たち、喜んで投げられてるというか。驚いちゃったのね。番組の企画として、やらせとしても、こんな番組があることって、見てる側を馬鹿にしてる気がしたの。
日本人で日本語わかるから、ニュースを見てても、言葉以上のことがわかる。
たとえば、殺人があって、その事件を報道や解説、紹介する際に、殺人を犯した人を事実以上に脚色するというか、いかにも極悪人で信じられない、おそろしや~、というのが、ナレーションの声に感じられた。何にも考えなくて見ていると、その人のことや、事件の真相を知らないのに、「なんて恐ろしい怖い人だろう」って刷り込まれるというか。
お昼の奥様番組とか見てても、お金持ちの家や、イケた感じのレストラン、それを素敵とか、良いとする価値観で番組ができてて、ファッションや贅沢にそれ程興味のない私でも、そういうものを手にできない自分がみじめになるというか。変な焦りが出るというか。
私って、こうみえて、すごく素直な人で、無意識にいろんなものを吸収する。
テレビはいろんな面で、押してくる価値観が私とは違うし、私をどんどん混乱させる。ただぼーっと意識せずに見ていると、潜在意識の中にいろんなものが残っていく。これ、怖いっ、って思いだしたの。バラエティに出ている人たちの本心じゃない作られた言葉や目とか見ていると、気持ち悪いし、怖くなった。そのころから無機質なNHKのニュースやドキュメンタリー、徹子の部屋とか、しか見なくなったの。
前の旦那はテレビ大好きで、家でテレビばかり見ていた。それで、よく喧嘩もした。
意識してないと、変に無垢な?自分の中にいろんなものが刷り込まれる。ただ番組を批判するだけじゃなくて、自分を守ることに精いっぱいだった。
たとえば、テレビを見なくなって1~2年すると、エンターテイメント、見どころとして?殺人が盛り込まれている番組や映画を見ると、殺人のシーンでハートがすんごいドキッとするの。でも、1週間くらい、そういうものを見続けると、それが当たり前になって、なんとも思わなくなるの。←自分で実験w
ニュースを見てても、久々に殺人事件の報道とか見ていると、その事件が怖い、って感じるけど、毎日見ていると、「あ、またか」という感じになって、自分の中でそういう事件が当たり前になっていく。バラエティ番組も、いつもその番組を見ていると、嘘くさいことを言って、うそっぽい目をしているタレントさんにも、親近感や安心感を覚えるようになる。←夢に青木さやかが出てきた時にびっくりした。
テレビ番組って、スポンサーや世論の顔色、視聴率を気にして作られていたりもする。そこにほしい情報と私が楽しめる娯楽番組はあるのか。といったら、NOで、何よりも怖いことは、こんなに変に純真無垢?な私の潜在意識に何かが刷り込まれて、価値観や常識が変わっていく。
あと、30歳のころに、テレビの取材とかあったのね。こうやって、「作られる」という部分も垣間見て、テレビやメディアというのは利用するものでテレビに操られてしまわないように、って、思うようになったの。
↑すべて、私の場合ね。
離婚して、テレビのない生活。
今でも人の家でテレビがついていると、音や画面に意識を引っ張られてしゃべらなくなってじーっと見てしまう私。話をしてても、集中できない。だから、できるだけ人の家でもテレビを消させてもらう。
今のルームメイトもリビングでいつもテレビつけてるから、自分の部屋に引きこもるようにしてる。
ネットでは動画は見る。
自分が知りたいこと、興味があることを、多くの情報源から、自分の感性で選ぶ事ができるから。どこから出てきたかわからないその情報を選んでどう自分の中で処理するかは、自分の責任。
友達やグループ、社会で、「それって、なんか、おかしいよな」っていう感覚があっても、いつも一緒にいたら、感覚がマヒしてくると思うの。私にとって、テレビもそんな感じ。